また一人、会社を去っていった──見返りを求めることのむずかしさ
また一人、同世代の先輩が会社を去っていった。
少し寂しい。でも気持ちはわかる。
「もっと評価されると思ってた」
「もう少し報われるはずだった」
そんな声にならない思いが、背中ににじんでいた気がする。
「俺はこんなに頑張ってるのに」
かつての僕も、そうだった。
「なんで給料が上がらないんだ!」
「周りよりも努力してるのに、報われない!」
悔しさや焦りが、心の中で燻っていた。
会社に全力を注いでいたからこそ、認められたいという気持ちがどんどん強くなっていた。
でもあるとき、ふと思った。
これって、片想いと同じじゃないか?
恋愛と仕事、どこか似ている
「こんなに愛しているのに、なんで伝わらないんだ」
「こんなに尽くしているのに、なんで応えてくれないんだ」
恋愛で感じるモヤモヤと、仕事で感じる報われなさ。
似ている。いや、ほとんど同じだった。
仕事も恋も、“見返り”を求めはじめたときから、苦しくなる。
育休で気づいた“ありがたさ”
そんな僕も、結婚して、2人の子どもに恵まれた。
そして合計1年以上の育休を取得した。
育休中は給料がゼロ。
生活費を気にしながらの日々だったけど、だからこそ気づいた。
「毎月決まった日に給料が振り込まれること」って、こんなにもありがたいんだ。
若い頃の僕は、給料が「上がらないこと」に怒っていた。
でも今は、「もらえること」に心から感謝できている。
投資と給料と、心の安定
毎月の給料を少しずつ投資に回す。
それだけで、人生は案外困らない。
未来に向けて準備ができている安心感が、気持ちに余裕をくれる。
そして、今だから言える。
見返りを求めすぎないほうが、人生はうまく回る。
転職もいい。でも焦らない
転職サイトを見ることもある。
でも正直、今の会社より良い条件の会社って、そんなに出てこない。
給与、福利厚生、育休の取りやすさ…
今いる場所は、ちゃんとありがたい場所だったんだと気づいた。
資産形成が整えば、もし給与が少し下がっても「やりたいこと」を選ぶ自由が出てくる。
そう思うと、焦らなくていいと思えた。
与えることの意味
過去の僕は、「評価されたい」「認められたい」ばかりを追いかけていた。
でも今は違う。
与えることは、自分の人生を整えるための手段でもある。
それは恋愛も、仕事も、同じなのかもしれない。
最後に、心に刺さった言葉を
「恋愛は見返りを求めるものではなく、ただひたすらに与え続けるもの。」
— ケツメイシ RYO
この言葉、最初は「恋愛」のことだと思っていた。
でも今は、「仕事」「家庭」「人生」そのすべてに通じていると感じている。
誰かに何かを期待するんじゃなくて、
自分の意思で、自分のペースで、与えていく。
その積み重ねが、やがて自分自身を救ってくれる。
だから今日も、静かに前を向く
過去の自分も、今の自分も、未来の自分も。
どれも否定せず、少しずつ「整える」ことでしか見えない景色がある。
たとえ不器用でもいい。
今日もまた、自分の人生を、自分の足で歩いていこう。
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